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水戸線をゆく 思い出とともに (2013年6月29日)(1) |
● 2013年6月29日(土) | ||||||||
No. | 発駅 | 時刻 | 路線、列車 | 着駅 | 時刻 | 掲載 | ||
1 | 大宮 | 8:23 | − | 快速「ラビット」 宇都宮行き | − | 小山 | 9:00 | |
2 | 小山 | 9:34 | − | 水戸線 普通 友部行き | − | 友部 | 10:40 | (1) (2) (3) |
3 | 友部 | 11:17 | − | 常磐線 普通 上野行き | − | 松戸 | 12:37 | |
4 | 松戸 | 12:41 | − | 常磐線 特別快速 上野行き | − | 上野 | 12:56 |
● 2013年6月29日(土) |
JR東日本 水戸線 友部行き 小山駅 9:34発 |
この車両は、415系1500番台 で 4両 です。 |
車体側面 方向幕 |
水戸線 と言いましても、実際には 水戸駅 よりも手前の 友部駅 までしか行きません。友部駅 よりも先の 水戸方面 へ直通する列車もありますが、水戸線 はあくまで 友部駅 までで 友部駅 から先は 常磐線 なのです。それゆえに 「水戸まで行かない水戸線」 と揶揄されてしまいますが、実は、最初に 水戸 に鉄道を開通させたのは、水戸線 の前身である 水戸鉄道 でした。水戸鉄道 が開業したのは 1889年(明治22年) のことですが、そのときの区間は 小山−水戸 間 だったのです。その 水戸鉄道 は、日本鉄道 による買収とその後の 国有化 を経て現在の 水戸線 となるわけですが、その過程の中で、友部−水戸 間 は後から開業した 常磐線 に編入されてしまったのです。とまあ、知ったかぶりなことを書いていますが、ぶっちゃけ Wikipedia の受け売りですので、もっと詳しく知りたい方がいらっしゃいましたら、Wikipedia でもご参照いただければと思います。 |
運転室 |
パシャパシャといろいろ写真を撮っているうちに時間が過ぎ、9:34、小山駅 を発車しました。ガラガラと言うほどではありませんが、座席はたくさん空いており車内には余裕があります。 |
9:34 小山駅 発車直後 |
小山駅 を発車するとすぐに左へカーブし、東北本線、東北新幹線 と分かれます。目の前の 高架線 は、東北新幹線 です。 |
9:35 小山−小田林 間 |
進行方向右側に、東北本線 と 水戸線 の間を結んでいた、かつての 短絡線 の線路跡が合流してきました。東北本線 を 上野駅側 からやってきて 小山駅 から 水戸線 に乗り入れようとすると、小山駅 で スイッチバック することになってしまいます。それを避けるためにこの 短絡線 が建設されたのですが、実際、私が子供のころは、急行「つくばね」 や 「かわらご」 という列車がこの 短絡線 を経由して運行されていました。「かわらご」 は、海水浴シーズン に 大宮−常陸多賀 間 に運転された列車なのですが、私も 茨城 へ海水浴へ行くのに乗車したことがあります。私は 埼玉県 の 東北本線沿線 の出身なのですが、埼玉 と言えば 海 はありませんので、わざわざ 茨城 まで出かけていったわけです。その時の 「かわらご」 の写真が探したらありました。せっかくなので、載せておきたいと思います。 |
「かわらご」 東北本線 久喜駅 1979年8月撮影 |
ご覧の通り、懐かしい 415系 です。昔は、常磐線 ではよく見かけた車両ですが、東北本線 を走るのはとても珍しく、私はこの 「かわらご」 ぐらいしか記憶がありません。 |
「かわらご」 車体側面のサボ 1979年8月撮影 |
大宮−常陸多賀 という列車も珍しいですが、「かわらご号」 と手書きで書いてあるのも味がありますね。 |
9:36 小山−小田林 間 |
まもなく、デッドセクション を通過します。デッドセクション とは 死電区間 とも言いますが、私の生半可な知識で大雑把に言うと、直流電化 と 交流電化 の境界で架線に電気が流れていない区間のことを言います。この↑↑写真で、前方左側の 架線柱 に 赤と白の縞模様の標識 が取り付けられていますが、これが 架線死区間標識 で、この先に デッドセクション があることを表しています。水戸線 の場合、小山駅 からこの地点まで 直流電化 なのですが、この先は 交流電化 になるのです。よって、水戸線 の電車は、直流 と 交流 の両方に対応した車両である必要があります。今乗っている車両は 415系1500番台 で、昔、「かわらご」 で乗車した車両は 415系 ですが、その 415 の 百の位の4 は 交直両用 であることを意味しています。もし仮にできるかどうかは別として、小山駅 の 水戸線 のホームからこの地点までを 交流電化 に変更するなら、水戸線 の車両は 交流専用 でもよいことになります。ただし、常磐線 に 交直両用 の車両が必要である限りは、水戸線 だけを 交流専用 にするメリットはあまりないかもしれません。 |
9:37 小山−小田林 間 |
あっという間に、のどかな感じになりました。それにしても、相変わらず天気の方はイマイチです。まだ 梅雨 なので、仕方がありません。 |
9:37 小山−小田林 間 |
ちょうどこの辺りで、栃木県 から 茨城県 に入ります。 |
小田林駅 9:39発 |
この 小田林駅 は、同じ 普通列車 でも一部の列車は通過してしまいます。それだけ、利用者が少ないということなのでしょうか。 |
9:40 小田林−結城 間 |
9:41 結城駅 に到着します |
先ほど、急行「つくばね」 という列車が話の中に出てきましたが、私が子供のころのダイヤでは、急行 なのはこの 結城駅 までで、この先は 普通列車 になりました。今さらですが、「つくばね」 にも一度くらい乗ってみたかったです。(あまりにも昔のことで記憶がはっきりしないのですが、東北本線内の短距離であれば、一度くらい乗ったことがあったかもしれません。) |
9:44 結城−東結城 間 |
東結城駅 9:45発 |
先ほどの 小田林駅 もそうでしたが、この 東結城駅 も、普通列車 であっても一部は通過してしまいます。私が子供のころからすでにそうだったのですが、列車によって停まったり停まらなかったりでは乗り間違える人はいないのでしょうか? みんな地元の人だから問題ないのでしょうか? |
9:47 東結城−川島 間 |
鬼怒川 を渡っています。 |
9:47 川島駅 に到着します |
上り の 小山行き が、こちらの到着を待っています。 |
川島駅 9:48発 |
写真中央に、かつての 専用線 (Wikipedia によると、太平洋セメント川島サービスステーション への専用線とのこと) の線路跡が奥へ向かって続いています。軌道は雑草に埋もれレールが残っているのかどうかもわかりませんが、架線柱 が残っているのがわかります。 |
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