寝台特急「さくら」の旅 (1980年8月14日〜20日) |
小学5年生の夏休み、とうとう人生初の一人旅をする時がやってきました。それまでにも、近場であれば一人で行くようになっていましたが、夜行列車 に乗って泊りがけで一人で旅をするのはこの時が初めてでした。 私の父母は 山口県 の出身なのですが、山口県 をはじめ、長崎県、広島県 にも親戚がいます。その親戚をまわったのですが、最初におじゃましたのが 長崎県 の親戚でした。 長崎 と言えば、当時は 寝台特急「さくら」 でした。うれしいことに、東京駅 から 長崎駅 まで 「さくら」 を乗りとおすことができました。しかも、父が奮発して、A寝台 に乗せてもらえました。 1980年8月14日(木) 東京 → 寝台特急「さくら」 → 1980年8月15日(金) → 寝台特急「さくら」 → 長崎 1980年8月16日(土) 長崎 → 特急「かもめ6号」 → 博多 鹿児島本線、山陽本線を乗り継ぎ山口県の親戚へ 1980年8月19日(火) 岩国 → 寝台特急「あさかぜ4号」 → 1980年8月20日(水) → 寝台特急「あさかぜ4号」 → 東京 当時の私にとって、「さくら」 に乗れたのは夢のような出来事でした。うれしくて、夏休みの自由研究で 「さくら」 をテーマにしたほどでした。 この時の 「さくら」 の切符は 硬券 だったのですが、長崎駅 でもらえなかったので、残念ながら残っていません。 なお、1980年8月の 日本交通公社 の 時刻表 が手元に残っているのですが、それによれば、当時の 「さくら」 のダイヤは以下の通りです。
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東京駅 12番線 |
当時の 「さくら」 は、前8両が 長崎行き 、後6両が 佐世保行き でした。また、A寝台 と 食堂車 は 長崎行き にのみ連結されていました。 |
寝台特急「さくら」 東京駅 (4枚とも) |
「さくら」の車内より |
この写真は、「さくら」 の車内から写した 新幹線 です。たしか 熱海付近 だったと思います。 静岡駅 を発車した後だったと思いますが、係りの人が 寝台をセット してまわりました。A寝台 の場合は、天井側に収納していた 上段 を下ろし、また 下段 は座席から 寝台 へセットしました。 私の寝台は 上段 だったので、寝台がセットされたあとは、階段を上り自分の寝台で横になりました。上段 には小窓がありますが、その窓から遠くに 打ち上げ花火 が見えたのを覚えています。どこかでお祭りか、花火大会でもやっていたのかもしれません。 この夜は、深夜でも駅に停車するときは起きていました。初めての一人旅ですし、まして 「さくら」 に乗車しているわけですから、興奮して眠れなかったのもあるかもしれません。 |
寝台特急「さくら」 小郡駅 |
「さくら」の車内 (寝台を解体する様子) |
宇部駅 を発車した後だったと思いますが、今度は係りの人が 寝台を解体 してまわりました。A寝台 は、グリーン車 として利用(いわゆる ヒルネ)ができました。 |
寝台特急「さくら」 下関駅 |
下関駅 では、ここまで牽引してきた EF65 1099 が切り離され、門司駅 までの 関門トンネル を牽引する EF81 304 が連結されました。 |
寝台特急「さくら」 門司駅 (2枚とも) |
門司駅 では、牽引機がさらに ED73 1007 に変わりました。 |
「さくら」の車内より |
この写真はどこで写したものかは分かりませんが、「かもめ」 と 「みどり」 の編成だと思います。「かもめ」 も 「みどり」 も、当時は 485系 でした。というか、国鉄 の 特急 と言えば、全国的に 485系 が幅を利かせている時代でした。 |
寝台特急「さくら」 博多駅 |
寝台特急「さくら」 鳥栖駅 |
この写真では、乗りこむ客が多数いるのがわかります。当時は、いわゆる ヒルネ の利用も多かったんですね。 |
寝台特急「さくら」 佐賀駅 |
寝台特急「さくら」 肥前山口駅 |
肥前山口駅 では、後方の 佐世保行き の編成を切り離しました。ここまで機関車+客車14両だったわけですが、先頭の機関車はホームからはみ出ているのがわかります。 |
寝台特急「さくら」 長崎駅 |
11:40、終点の 長崎駅 に到着し、「さくら」 の旅が終わりました。 改札口では親戚が待ってくれていたのですが、私がなかなか出てこないので心配したそうです。写真を撮っていただけなんですが(笑 |
長崎駅 |
長崎の路面電車 |
この日は市内の親戚に泊めてもらい、翌日には 山口県 の親戚へ向かいました。その際、博多駅 までは、特急「かもめ6号」 に乗車しました。 |
特急「かもめ6号」 長崎駅 |
「かもめ6号」の車内より |
この写真は、肥前山口駅 に到着する直前、近づいてきた 佐世保線 の線路です。その 肥前山口駅 では、先に到着していた 「みどり6号」 に連結しました。 |
特急「みどり6号」「かもめ6号」 博多駅 |
当時、「みどり」 の博多側の先頭車は、ボンネット の クロ481 でした。 また、博多駅 では、「有明」 や 「にちりん」 の写真も撮りました。 |
特急「有明」 博多駅 |
特急「にちりん」 博多駅 |
この後は、16日から18日まで 山口県 と 広島県 の親戚に泊めてもらいました。 そして最後は、岩国駅 から 寝台特急「あさかぜ4号」 に乗車し、帰路につきました。どういうわけか、「あさかぜ4号」 を写した写真は1枚も残っていません。 |
この時の旅は、当時の私にとっては大旅行であり、また大冒険でもありました。今となっては、何もかも懐かしいです。 「さくら」 は、その後、1999年に 佐世保行き が、そして2005年には 長崎行き も廃止になりました。 2011年には、新幹線 の列車名として復活しましたが、私にとって 「さくら」 と言えば、今でも 寝台特急「さくら」 として思い出の中で走り続けています。 |