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寝台特急「さくら」の旅 (1980年8月14日〜20日)

2012/12/15掲載
昔のことなので、記憶があいまいな点があります。ご了承ください。

 小学5年生の夏休み、とうとう人生初の一人旅をする時がやってきました。それまでにも、近場であれば一人で行くようになっていましたが、夜行列車 に乗って泊りがけで一人で旅をするのはこの時が初めてでした。
 私の父母は 山口県 の出身なのですが、山口県 をはじめ、長崎県広島県 にも親戚がいます。その親戚をまわったのですが、最初におじゃましたのが 長崎県 の親戚でした。
 長崎 と言えば、当時は 寝台特急「さくら」 でした。うれしいことに、東京駅 から 長崎駅 まで 「さくら」 を乗りとおすことができました。しかも、父が奮発して、A寝台 に乗せてもらえました。

 1980年8月14日(木)
  東京 → 寝台特急「さくら」 →

 1980年8月15日(金)
   → 寝台特急「さくら」 → 長崎

 1980年8月16日(土)
  長崎 → 特急「かもめ6号」 → 博多
  鹿児島本線、山陽本線を乗り継ぎ山口県の親戚へ

 1980年8月19日(火)
  岩国 → 寝台特急「あさかぜ4号」 →

 1980年8月20日(水)
   → 寝台特急「あさかぜ4号」 → 東京

 当時の私にとって、「さくら」 に乗れたのは夢のような出来事でした。うれしくて、夏休みの自由研究で 「さくら」 をテーマにしたほどでした。
 この時の 「さくら」 の切符は 硬券 だったのですが、長崎駅 でもらえなかったので、残念ながら残っていません。

 なお、1980年8月の 日本交通公社時刻表 が手元に残っているのですが、それによれば、当時の 「さくら」 のダイヤは以下の通りです。

東京 16:30発
横浜 16:58発
沼津 18:18着 18:19発
静岡 19:01着 19:03発
豊橋 20:27着 20:28発
名古屋 21:21着 21:26発
京都 23:18着 23:21発
大阪 23:53着 23:57発
広島 4:26着 4:31発
徳山 5:58着 5:59発
小郡 6:36着 6:37発
宇部 6:59着 7:00発
下関 7:40着 7:44発
門司 7:52着 7:57発
博多 8:59着 9:02発
鳥栖 9:29着 9:31発
佐賀 9:53着 9:54発
肥前山口 10:08着 10:12発
諫早 11:17着 11:18発
長崎 11:40着


東京駅 12番線

 当時の 「さくら」 は、前8両が 長崎行き 、後6両が 佐世保行き でした。また、A寝台食堂車長崎行き にのみ連結されていました。

寝台特急「さくら」 東京駅 (4枚とも)

「さくら」の車内より

 この写真は、「さくら」 の車内から写した 新幹線 です。たしか 熱海付近 だったと思います。

 静岡駅 を発車した後だったと思いますが、係りの人が 寝台をセット してまわりました。A寝台 の場合は、天井側に収納していた 上段 を下ろし、また 下段 は座席から 寝台 へセットしました。
 私の寝台は 上段 だったので、寝台がセットされたあとは、階段を上り自分の寝台で横になりました。上段 には小窓がありますが、その窓から遠くに 打ち上げ花火 が見えたのを覚えています。どこかでお祭りか、花火大会でもやっていたのかもしれません。

 この夜は、深夜でも駅に停車するときは起きていました。初めての一人旅ですし、まして 「さくら」 に乗車しているわけですから、興奮して眠れなかったのもあるかもしれません。

寝台特急「さくら」 小郡駅

「さくら」の車内 (寝台を解体する様子)

 宇部駅 を発車した後だったと思いますが、今度は係りの人が 寝台を解体 してまわりました。A寝台 は、グリーン車 として利用(いわゆる ヒルネ)ができました。

寝台特急「さくら」 下関駅

 下関駅 では、ここまで牽引してきた EF65 1099 が切り離され、門司駅 までの 関門トンネル を牽引する EF81 304 が連結されました。

寝台特急「さくら」 門司駅 (2枚とも)

門司駅 では、牽引機がさらに ED73 1007 に変わりました。

「さくら」の車内より

 この写真はどこで写したものかは分かりませんが、「かもめ」「みどり」 の編成だと思います。「かもめ」「みどり」 も、当時は 485系 でした。というか、国鉄特急 と言えば、全国的に 485系 が幅を利かせている時代でした。

寝台特急「さくら」 博多駅

寝台特急「さくら」 鳥栖駅

 この写真では、乗りこむ客が多数いるのがわかります。当時は、いわゆる ヒルネ の利用も多かったんですね。

寝台特急「さくら」 佐賀駅

寝台特急「さくら」 肥前山口駅

 肥前山口駅 では、後方の 佐世保行き の編成を切り離しました。ここまで機関車+客車14両だったわけですが、先頭の機関車はホームからはみ出ているのがわかります。

寝台特急「さくら」 長崎駅

 11:40、終点の 長崎駅 に到着し、「さくら」 の旅が終わりました。
 改札口では親戚が待ってくれていたのですが、私がなかなか出てこないので心配したそうです。写真を撮っていただけなんですが(笑

長崎駅

長崎の路面電車

 この日は市内の親戚に泊めてもらい、翌日には 山口県 の親戚へ向かいました。その際、博多駅 までは、特急「かもめ6号」 に乗車しました。

特急「かもめ6号」 長崎駅


「かもめ6号」の車内より

 この写真は、肥前山口駅 に到着する直前、近づいてきた 佐世保線 の線路です。その 肥前山口駅 では、先に到着していた 「みどり6号」 に連結しました。

特急「みどり6号」「かもめ6号」 博多駅

 当時、「みどり」 の博多側の先頭車は、ボンネットクロ481 でした。
 また、博多駅 では、「有明」「にちりん」 の写真も撮りました。

特急「有明」 博多駅

特急「にちりん」 博多駅

 この後は、16日から18日まで 山口県広島県 の親戚に泊めてもらいました。
 そして最後は、岩国駅 から 寝台特急「あさかぜ4号」 に乗車し、帰路につきました。どういうわけか、「あさかぜ4号」 を写した写真は1枚も残っていません。


 この時の旅は、当時の私にとっては大旅行であり、また大冒険でもありました。今となっては、何もかも懐かしいです。
 「さくら」 は、その後、1999年に 佐世保行き が、そして2005年には 長崎行き も廃止になりました。
 2011年には、新幹線 の列車名として復活しましたが、私にとって 「さくら」 と言えば、今でも 寝台特急「さくら」 として思い出の中で走り続けています。


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